HISTORY 小形工務店ヒストリー

株式会社小形工務店は創業昭和49年(1974年)。父からはじまった工務店を、今に受け継いだ歴史をご紹介します。

「もっと家族を幸せにしたい」 という思いから始まった。

戦後初のマイナス経済成長だった、昭和49年。一世風靡した巨人の長嶋茂雄選手の引退や、コンビニエンスストア「セブンイレブン」第1号店が開店した。その年の3月に父が29歳の時、16歳から勤めていた、父の叔父から独立して創業しました。そして同年一月に私が生まれました。父になぜ独立したのかと聴くと、「いや、このままではダメだ。もっと家族を幸せにしなければいけないという思いが自然と湧いて、おじさんにはなにも言わず、勝手に自分で作業小屋を建ててしまった」という話を聴きました。父は真面目で仕事一筋、「辛抱強く我慢する」が口癖の父でしたが、反面、優しく、明朗快活で私達家族はもちろん、地域の皆さんにも人気があり、頼りにもされました。独立すると父、次男、三男の兄弟3人で小形工務店を創業しました。「小形家を良くするため」そして「地域の皆様に喜んでもらうこと」「すべてをお客様に捧げる」そんな気持ちで仕事していた父たちの思いを、こどもながらに私もすごく感じていました。よく父、叔父さん達3人で将来の事、現場の事、会社の内情の事など、お酒を飲みながら話していたなと思いだします。たまには口論になって喧嘩もしていましたね。でもそれも本気で小形工務店を良くするために話し合っていたんだなと、一生懸命、朝から晩まで会社・仕事・地域そして家族のことを考えてもらっていたんだなと改めて感謝しています。

焼肉で私の大工人生が始まった。

大工の家系に生まれた私は、子供の時からどこに行っても「将来はお父さんの跡を継いで、大工さんだねー」とよく言われました。それを言われることが、凄く嬉しくて、でも照れ臭くて。父のベルトを掴みながら後ろに隠れて、ゴツゴツした力強い真っ黒い手で頭を撫でられて、ニヤニヤと喜んでいた思い出があります。たまには父に材木の展示会に連れて行ってもらった事を覚えています。なにも分からない田舎者の私が紫雲寺小学校、中学校、新発田農業高校に入り、将来本当に何になりたいでもなく、何をしたいでもなくのんびりと過ごしている学生生活でした。ただ何となく、こどもの頃から自分は大工の世界に入るのかな?と感じながら進学、就職どっちにしようか迷っている高校三年生の夏、先生との三者面談があり、あまり学校行事には参加しない父が珍しく来てくれました。その時の私自身は将来のビジョンが見えず、想いが煮え切らない状態で終わったんです。そこで父が帰り道「飯食っていくか」なんて誘いがあり、始めて新道(しんみち・新発田市の繁華街)の焼肉錦水(きんすい)へ連れて行ってもらいました。普段はホットプレートで豚肉しか食べたことがなかったので、あまりの焼肉のうまさに感動していた最中、父に「なあ、大工なってみれや…」なんて言われて、「大工もこんなうまい焼肉食えるんだったら良いな!」なんて思って、「そうするわ!!!!」と決めちゃいました。そうしたら父が喜んで急に「熱燗3本ーーーーー!!!!!!」とか言って一気に飲んでいたのをよく覚えています。そして私は焼肉に釣られた訳ではないのですが、割と簡単に大工の世界に入りました。

年を重ね新たな価値観を発見。

自身18歳の春、聖籠の大工さんのところに見習いにいきました。働き始めたばかりの頃は仕事が面白くなくてしょうがない。何でこんなに面白くないんだっていうくらいつまらない。分からないから面白くない。見て覚えろって言われても何を見れば良いのかも分からない。夕飯の時に父に言うと怒られるから、母親にめちゃめちゃ愚痴る。「面白くねー、親方は何も分かってねー」なんてよく言ってました。ふと思うと、当時の親方の立場と同じくらいになった現在、私も社員に言われたことがありそうだな~なんて思う今日この頃です。ただ二年目後半位から、仕事を少しづつ分かってくると、いつの間にか面白くなってきて楽しくてしょうがない。考えていることは「あれはこうしたほうが速い」とか「キレイに仕上げるにはどうしたら良いか?」なんて事ばかり考えていました。建前で天気の良い日に、屋根ができ、屋根から空を見上げた時「なんて俺は幸せなんだ」と、この世界に入ってホントに良かったと思えるようになりました。その後22歳の時、私が見習いから戻ってきて小形工務店に入社し、仕事も楽しく一生懸命やっていたつもりです。地域活動では、紫雲寺商工会青年部、消防団、地元のお祭り等に参加し、26歳の時に結婚して子供は長女と長男の二人授かりました。それで30歳位から、だんだん私に住宅を任せてくれるお客様も増えてきて大変有り難く、全力を尽くし快適な住まいを提供しようとお客様を大切にしてきました。そして父が65歳で私が36歳の時、代表を交代しました。最初は「みんな仲良く、社長だけど同じ立ち位置だよ」なんてカッコつけていて全然代表の自覚なし。代表だけど社員の時と考え方はまったく変わらずだった。人様に笑われない様にとか、枠からはみ出さない様にとか、誰に言われてきたのか、私が勝手に決めてしまったのか、「もう無理はせず、このままで一生過ごせれば良いな」なんて想いながら、経営なんて言えたものではないですが代表をしていました。そして、このままが一番良いと思い込んでいた。しかし、社員とは仲が良いけど目的ない…。そして年を重ね物思いに耽る…。「俺は何がやりたいんだろう?社員は満足なのか?このまま一生終わってしまうのか?」なんて悩んで一念発起。社長業を勉強するため、少しづつ色々な講習会に参加して学んでいくと「社長は社員を越えられない、あなたが社員の成長をストップさせています」の一言にブチ当る。「そうだ!私が前に出なければ、先頭を切って旗を振らなければ、社員みんなを不幸にしてしまう、そして私の人生も何も無いまま終わってしまう」と気付き、法人化、事務所の移動、新しい建築工法への加入など前進し始めました。大工の仕事はもちろんですが、社員とのコミニュケーションも大切にし、個人面談、ミーティングに時間をかけるよう心がけ、みんなの思っていること、やりたい事がだんだん分かってきました。話せば話すほど、私は嘘臭く聞こえるかもしれないですが、ウチの社員が大好きです。たまに言い合いもします。社員は私の事どう思っているか?それは分かりません。ただ、社員みんなのことを想うと「みんな頑張っているなー」と泣けてくる。社員は会社のために最善を尽くそうと日々考えてくれています。きっと私生活でも家族のことはもちろん、会社のことも考えてくれてるんだろうなーと思っています。

「こころ晴れ晴れ」を繋ぐ。

今までの小形工務店を振り返ると、毎日のように社員・業者さんに助けてもらっています。言葉をもらい、そして行動をもらい、この51年間、社員・職人さんとずーっと共に歩んできました。みんなで考え、意見を出し合い一が二になり三になり、父、叔父2人の頃からみんなで「お客様への快適な暮らしの提供」を常に考え新築・リフォーム、暮らし全てにおいて、お客様の悩みやモヤモヤを解決できるよう寄り添い、こころ晴れ晴れとした気分になって欲しいと考えています。朝の目覚めから、元気が出るような家族であってもしい…、そんな住まいを創造したい。そしてそのお客様の晴れ晴れとした表情から、声から、パワーを少しずつ分けてもらい、私達小形工務店全社員が毎日こころ晴れ晴れと仕事ができる。そして、また、お客様へパワーを注ぐ。父の想いを私が受け継ぎ、私なりに変化させ、その輪が大きくなり、縁ある大切な人へ創業した身近な地域からですが、「こころ晴れ晴れ」を広げていきたい。

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